Sep.25    第84回ハローマイト懇話会のご報告

 第84回ハローマイト懇話会   

「オーストラリアが生んだ文化伝道師―快楽亭ブラックと文明開化―」

 

日時:平成27年9月25日()

懇話会 18:00~19:45

会 食 20:00~22:00

会場:懇話会 追手門学院大学

       大阪梅田サテライト

   会 食 関西文化サロン

講師:重松伸司氏

   追手門学院大学オーストラリア・

   アジア研究所長

 

協会理事の重松伸司さんの肩書きは、追手門学院大学オーストラリア・アジア研究所長。南インドが御専門で、インド映画などを輸入している女性をお互いに昔から知っている事にビックリしました事があります。ただ今回ハローマイトのテーマはインドではなく、明治時代に活躍したオーストラリア人の“落語家”の話。常々落語を聞くのが趣味とは言っておられましたが、ここまで深いとは、と驚かされた一夜でした。イタリア旅行から「今朝帰って来た、、」とおっしゃる富田会長以下17人が、まか不思議な豪州人の話に耳を傾けました。

会場は今回初めての、追手門学院大学・大阪梅田サテライトというよりも、阪急ターミナルビル16階と言った方が解りやすいかもしれません。

 英国人の父親に連れられて1863年に日本にやって来た、オーストラリア生まれのヘンリー・ジェイムス・ブラック(後の快楽亭)は、18才の頃、手品師・柳川一朝斉と出会い、ここから日本の古典庶民文化への関わりが始まります。“手妻(手品)”を覚えて舞台に立ったかと思えば、次は講談。松林伯円という、“鼠小僧”などを得意とした講談師と出会い、日本の軍記ものから西洋の英雄譚まで語ります。一旦は芸の道を離れて英語講師になるものの、三遊亭円朝(初代か?)と出会って今度は落語に挑戦。ここで“快楽亭”に、さらに本名の“ブラック”をつけて芸名完成。

32才の時に、石井アカと結婚。ここで落語大好き、重松教授の面目躍如「これぞスタンダールの世界、これが解る方は相当な“ハイブラウ”、、、」オチは「アカと黒(ブラック)、解ったかな?」

これで終わらないのがブラック先生、今度は歌舞伎。市川團十郎(九代目か?)と出会い歌舞伎への関心と出演。重松さんによると「舞台に出させろ!」と押しかけたというから半端ではありません。それにしても当代一流の名人達とどのようにして出会ったのか、ブラックに直に聞いてみたいものです。

頂いた資料に、幡隋院長兵衛と女形の舞台衣装の写真がありますが、これがなかなか決まっています。こうして日本の古典芸能を網羅して亡くなった、“快楽亭ブラック一代記”を講演された重松さん、実はブラックの父、ジャーナリストで啓蒙思想家のジョン・ブラックを調べている時、横浜の墓地で近くに眠る、ヘンリー・ブラックの墓を見つけて研究に入ったそうですが、乏しい資料からこれだけの材料を集め、お話をされるというのは、矢張り“学者”なのだと感心させられました。

“明治”の音源で、♪梅が枝の手水鉢、叩いてお金が出るならば・・・♪という戯れ歌や落語「試し酒」でブラック本人の声を聞かせて頂きました。よくぞ残っていた“明治”の音源、節回しも江戸言葉も正に日本人。

今ならばさしずめ“変なガイジン”というところでしょうが、ブラックは本気で日本の古典芸を極めようとしたフシが感じられる、興味の尽きないお話でした。場所を移しての会食で更に話が盛り上がった事は言うまでもありません。

(文責:出野徹之)